美しいメロディーが多いヨーロッパタンゴの中で際立っているもののひとつ、ポエマ(Poema)が本日のタンゴです。楽団メンバーで欧州を演奏旅行中の列車の中で出来上がったと伝えられます。SADAICへの登録は初演したビアンコとメルフィの名でされてます。以下のURLでページを開いたらプレイヤーをスタートさせ聴いてください。 https://www-todotango-com.translate.goog/musica/tem…_tr_pto=sc フランシスコカナロ楽団でした。 次は作者自身の楽団で2バージョン聴いてみてください。 https://youtu.be/vqzEzt8AkZ8 Eduardo Bianco Orq.Típica 歌)? https://youtu.be/KVcFd_E4b-0 Eduardo Bianco Orq.Típica 歌)Manuel Bianco 1933 アルゼンチン人が作ったけれどヨーロッパタンゴなので、詞にルンファルドが全く使われておらず、Google翻訳ソフトを使った対訳をそのままにしておきます。 共作者のひとりエドゥアルド ビアンコ(Eduardo Bianco)は130年前の今日6月28日にサンタフェ州ロサリオ市で生まれてます。 https://www-todotango-com.translate.goog/creadores/…_tr_pto=sc 子供のころからバイオリンを学び、若者になってどこかの楽団に入ろうとブエノスアイレスに出て行きますが彼自身によれば「運が悪く」、でもめげずにパリで運試しする決心をしました。そしてたちまち大衆の好みを掴み自身のタンゴにヨーロッパの味を加え、行く先々で受け入れられました。そして間もなくバンドネオン奏者のバチーチャとオルケスタティピカ"ビアンコ=バチーチャ"を結成し演奏を開始しました。少し後にはギターのオラシオペトロッシ、ドラムのマリオメルフィ、バンドネオンのビクトルロムートも加わりアルゼンチン人は5人他はヨーロッパ人を組み込んだ楽団が出来、1925年(ビアンコ33歳)にデビューしました。そしてスペインのアルフォンソ13世やモスクワのスターリン、さらに交戦国ドイツでもコンサートを開きましたが出国できず逃げようとして逮捕されたりし、第二次世界大戦の末期1943年に故国アルゼンチンに帰ってきました。ナチス協力者と見なされ作品にケチをつけられたり、ドイツから持ち帰った2台のドブレア(=2A、バンドネオンの有名なメーカー品)を売り払うなど金銭的に困っていた時期もあったようですが、1950年の北アメリカと中東を巡るツアーをピークに40年代の偉大な楽団は活動を終息してゆきました。 ビアンコがヨーロッパで作曲した作品はおそらくSADAICにも登録されてないものがあると思われ、トドタンゴによると膨大で網羅しきれないとしています。プロフィールで挙げられた中から現時点でユーチューブで見つけたものを下にリストアップしておきます。 https://youtu.be/SGfcYb9R-mA Plegaria(祈り) https://youtu.be/2uAMYlAb_rc Romance(ロマンス) https://youtu.be/NHMfKJdcD00 Incertidumbre(不確実性) https://youtu.be/bs-4oJgA20Y Crepúsculo(トワイライト) https://youtu.be/GNIjUGdLHdQ Perjura(偽証) https://youtu.be/G4128SM2kE0 Congojas(悲嘆) |