車は新車並みだったが重大事故になりかねない故障もあった。 村へ帰って来た時はダムトップから数百メートル、ツズラ折れの急坂を下らねばならないのだが、一度なぞ下る途中でブレーキを踏むとスコンと抜けた感じになってしまった。ブレーキ油パイプに穴が開いたのだ。焼き付き覚悟ですぐにサイドブレーキを半掛けにしながら下にたどり着くまでの長かったこと。すぐSADEのガレージに行き修理してもらった。 もうひとつ、出かけた先でシフトレバーが抜けてしまったことがある。レバーとシフト梃子をつなぐピンが脱落している。レバーを突っ込んで押しつけながら操作すると前進だけはなんとかチェンジできる。この状態で橋に差し掛かったところ向こうから幅いっぱいにトレーラがやってくる。バックは出来ない、とっさに片足を歩道にかけ停車したらバオバオ警笛を鳴らしながらすれ違った。慌てていて左へ寄っていたのだった、右側通行なのに。 街の中を貫いては鉄路もある。踏切には遮断機はなく代わりにロープが線路両側手前の道を横切って地面に這わせてある。列車が通るときにはこれをピンと張ることで車に停止合図をするらしい。列車は日に何度か通るだけで踏切番はどこかに居るのだろうが見たことがない。 つい十年ほど前だったか、タンゴの大先輩であり汽車大好きの草津のSさんが何度目かのアルゼンチン旅行の話をしてくれたが、その頃にはバリローチェ近くのエスケルからネウケンを通ってブエノスアイレスに至るあの線に列車はもう週に数回しか走っていないと知った。 現在はどうなのか知らないがカブキ滞在の頃、踏切では一旦停止義務はないどころか逆に一旦停止するのは違反とされていた。列車が近づいていても車は速やかにつき切らねばならない。そうしないと列車強盗だと勘違いされるのだろう。 客先イドロノール社の顔見知りのエンジニア、ガリードが列車と衝突したと聞いた。しばらく経ったある日包帯でグルグル巻きになり松葉杖をついた人が近づいて来る。「セニョール・ガリード?」と訊くと包帯頭が揺れる。元気そうな様子が嬉しくて(列車と相撲じゃ負けるでしょと言いたかったが)小柄な体をアブラソしながら漫画みたいな姿に泣き笑いしてしまった。 |