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2017年01月30日(月) 
F-11にはM&Mのメンバーであるホー博士とトムとが住んでいて時折ボスのポープもやって来る。一軒おいて隣のF-15に住むカブキは据え付け指導員が引き上げたのちは気軽に出掛けて行って彼等と交流していた。仕事上のことだけならF-19のガレンタインだけが対面する相手なのだが、現地単身者同士ということでF-11の人たちとは飯を食ったり、特にトムとはドライブに出かけたりして親密になっていた。

ホー博士は社内で煙たがられているようだったが、カブキとは気が合いチェスの先生でもあって、ふたりだけのときはワインとチーズとチェスを楽しんだ。一月初旬にブエノスアイレスに出たときには彼も来ていて落ち合ってバーでウイスキーを楽しんだりしていた。ある日大きな馬鹿鱒を釣ったのでオーブンで料理し皆で食べようと持っていったらトムもポープも留守で「あとで揃ってたべよう」と置いてきて夕食に行ったらすでに彼ひとりが平らげてしまっていて呆れたこともあった。

ポープはエルチョコンに居てそこから時折140km離れたバンデリータにやって来ていた。運転手つきの真っ赤なシボレーのオープンカーに乗っていたからどこに居てもすぐわかった。すらりと背が高くいつも陽気でカブキを見るとロンドンデリーの歌で近づいてくる。そして彼だけは西語で訊く「うまくいってるかい?」あるとき彼が料理をつくって皆で食べた。自分の出身地とカブキの国から命名し「リバプール・スキヤキ」とか言ってたけど要するにシチューであった。

大概の食事は食堂へ行って食べていた。我々が行くエンジニア向け食堂では日替りのコース料理をウェイターが居て給仕してくれる。ワインは入口の食券売り場でよく冷えた赤白ロゼ好きなのを注文する。今だから白状するがカブキはいつも昼と夕にほぼひとりで1リットルづつ飲んでいた。食券売りの女の子はすぐカブキを覚えて「ウンリトロデ?...」カブキは答える「ティント、ポルファボール」「ムイビエン」。

昼食後は2時間ほどは家に帰ってシエスタで英気をやしなった。支社に電話を申し込むこともあるが大抵2時間ほどしてベルが鳴り交換嬢が「ロシエント、アユンプロブレマエンリネア」繋がらないが目覚まし代わりにはなった。

閲覧数534 カテゴリ名もなき人々(Los cosos en mi pasado) コメント0 投稿日時2017/01/30 11:32
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