これまでの沖縄旅行で、あえて避けてきたのが南部戦跡巡り。 なかでも「ひめゆりの塔・ひめゆり平和祈念資料館」は、気持ちが重くなることが分かっているので立ち寄ることを考えもしませんでした。 ご存じの通り「ひめゆりの塔」は、沖縄戦で亡くなったひめゆり学徒の鎮魂のために、沖縄戦の翌年1946年に建立されました。 ひめゆり平和祈念資料館は、その「ひめゆりの塔」に隣接して1989年に開館した資料館です。 こちらには沖縄戦に看護要員として動員されたひめゆり学徒隊の戦争体験を伝えるために、亡くなったひめゆり学徒の遺影や遺品、生存者の証言映像や手記が展示されていました。 ひめゆり学徒の戦争体験を通して、戦争の悲惨さや平和の尊さを学ぶことができる慰霊の場所で、自分の生き方を深く考えることができました。 展示の中でとても印象的だったのは、終戦の年の2月に近衛文麿首相が天皇陛下に上奏した「終戦提言」を軍部が握り潰して悲惨な沖縄戦や原爆投下につながったこと。 日本軍が住民を楯にして南部に移動させながら、無責任にも戦場で放りだしたことでした。 とくに、ひめゆり学徒隊の犠牲者123名のうち,解散命令以前の死者はわずかに11名。112名は解散命令後避難中に砲弾で亡くなった人や,最南端の喜屋武(きゃん)岬までたどり着き,そこで投降を拒否し手榴弾で自決させられた人達だったことです。 テレビやニュースでは、先日の県民投票について、いろいろと話しておられる方がありますが、沖縄は江戸時代の薩摩藩による「琉球侵攻」以来、現在に至るまでずっとこのような立場を強いられてきたことを前提にして頂けると、発言の内容やトーンも変わってくるのではないかと思います。 心は重くなりましたが、洗われたような清らかな気持ちで手を合わせてお祈りしてきました。 |