おはようございます
前回の更新で
安全協会に入会しませんと言ったら
「入会しないのですね?」と
3度ほど おばさんに念押されました~
日曜日、明石の運院免許更新センターに免許の書き換えに行ってきた。姫路警察だと申請して1ヶ月後に講習と受領に行くという二度手間がかかり、また受付で半強制的に交通安全協会に入会させられる。勇気を出して「NO!」と言えばいいのだが、警察官を背中に書類受付しているおばさんの迫力は凄い。なにより紋切り型で強引だ。明石では「入会したい人はどうぞ」と別窓口が用意されているので、自分の意志で支払いを決定できる。 なぜ協会に入会しないのかというと、違反講習で協会のおっさん(元警察官)とのやりとりで激高して激しく口論になった経験があったり、安全教室などの社会事業は評価するものの会計が未だに闇に隠されていることである。天下りの温床になっているのは、協会の人員構成と仕事ぶりをみれば明らか。小市民としては、せめての抵抗として「改善要求」に代えて拒否したというところ。実は長男に教えてもらって、今回初めての経験だった。 「安全協会」が今日の主題ではない。更新され受け取った免許証が、大きく3点変わっていた。ひとつは普通免許だった人は(限定)中型免許になっていること。IC免許証となって少し厚手になっていること。その機能を活かして表面の本籍地や裏面の賞罰表記がなくなった(ICチップに収容)ことである。一見、便利になるような気がするが、警察署以外でこのICチップの内容を利用できそうもなく、制作料で数百円更新費用が高くなっていることを考えると、どこかのチップメーカーと警察官僚の関係を探ってみたくなるのが心情というものだ。ICチップによって「消えた情報」について考えたい。なんと長い前ぶりだったことか。ここまでなんとか生き延びてくれた読者のみなさんに感謝する。 「賞罰が消えた」ということについては、自分が誉めて貰う機会なんてまずないのであまり興味はないが、表彰された人にはやはり寂しいだろう。対して「罰」が消えたのは重大違反者にとってはありがたいことに違いない。しかし、自分が冒した過ちを反省させるハンデとして表記が存在していたとすれば、今回短絡的にICチップの中に隠してしまうことが良かったのかとも思う。 「本籍地」については、もともとなぜ「番地まで」表示する必要があるのか不思議だった。免許証はライセンスだけでなく証明書としても利用される。氏名」「年齢」「現住所」という個人情報を確認するには、もっとも優れたカードと言っても差し支えない。更新の際に、都度確認が行われているからだ。しかし、証明書用途で本籍地を番地まで利用したという事例を私は知らない。 逆に本籍地が明確になることによって、不都合や被害が生じたり、精神的なダメージを受ける人たちがいる。いわゆる非差別部落出身の方々で、その方々に対する人権差別につながりかねない過度の情報公開は決して行われるべきではない。この一点で、今回の免許証ICチップ化については大きな意義があると思う。 これに対して、SNSの自己プロフィールの中にある「出身地」欄の存在について異議を唱える人たちがいるらしい。もともとこの欄は必須項目ではないので空欄でも差し支えなく、記入できるのは「都道府県と市町村」までで非公開にもできる。また「出身地」であって「本籍地」ではない。いわば私の場合なら生まれてから数回した訪問したことのない本籍地の「島根県益田市」か、物心つくまで生まれ育った出生地の「福岡県飯塚市」か、学齢前からずっと居住し愛着のある「兵庫県姫路市」か、いずれを書くのも自分の自由な選択である。 この項目の存在が、免許証の本籍地と同様に「精神的被害を及ぼす可能性がある」という考え方があるらしい。ほんとうにそうなのだろうか。秘匿する権利は認められていて、公開する情報は大ざっぱ(市町村まで)で特定できず、非公開なら検索にもかからないし、「出身地」は「本籍地」を指すものではない。こうなるともう「過剰反応」といえるのではないだろうか。同じ論法で反論すれば、不利益を与える心配がないものを制限してしまうことは、情報を公開したい人の権利を侵害していないだろうか。広く意見を聞いてみたいものである。 |