一昨日のハイキングは、昔の仕事仲間で結成した「史跡巡りハイキングの会」の例会だったので、当然のこととしてこの地区にある歴史の痕跡を見ながら歩きました。
京阪と近鉄を乗りついで、集合場所の近鉄竹田駅へ向かいましたが、先ずは乗り換え駅の京阪丹波橋駅のうどん屋で朝食をとりました。このうどん屋は、駅中の店とは思えない美味しい出汁のうどんを食べさせるので、よく入ります。 食べたのは、きつねうどんとかやくご飯のセットでしたが、うどんに乗っている大きな揚げは大阪風に甘ーい味付けで、ふわっと軟らかい上質の揚げを使っていました。
竹田駅から南東へ少し歩くと、3つの天皇陵があります。この辺りは平安後期に「院政」が行われた鳥羽離宮の一角で、当時の天皇の陵墓もあるのです。 近衛天皇とその父とされる鳥羽天皇の陵には墳丘がなく、代りに多宝塔とお堂が建っていて鳥居がないという、極めて珍しい仏教的な陵墓です。 この2つの陵の間に由緒ありげな石が置いてありましたが、説明板がないので、この石にどういういわれがあるのか全く解りません。 次の白河天皇陵へ向かう途中に一対の灯篭らしきものがありましたが、どちらも頭の部分がなくなっていました。歩いていると、いろいろ面白いものに出合います。
白河天皇は鳥羽天皇の祖父とされていますが、その陵は鳥居と墳丘を持った通常の形式でした。墳丘は方墳で、小さいながらも周濠がありました。
鳥羽離宮跡として顕彰されている公園を抜け、「鳥羽伏見の戦い」の旧跡を見て、鴨川の最下流部の堤を下流に向かって歩きました。 少し行くと、「恋塚寺」という変った名前の寺の前に出ます。 ここは、その昔「貞女の鑑」とされた袈裟御前の菩提を弔うために建立された寺で、本堂に上がったら、この寺の奥様が出て来られて説明をして下さいました。(http://4travel.jp/travelogue/10603619 )
少し行くと、「月の桂」という銘柄の酒を造っている古い造り酒屋があります。 酒蔵の前には、杉玉のほかに白いさらしが巻かれた大きなしめ縄が懸かっていました。 酒蔵の向かって左に小さな地蔵堂があり、その脇に「愛宕山」と彫られた石灯篭がありました。(酒蔵の裏側は鴨川で、堤に上ると正面に愛宕山が見えます。)
鴨川とお別れして東へ、工場街を横切ると新高瀬川のほとりに出ます。 ここから酒蔵と竜馬のまち・伏見に入ります。
更に東にある濠川の河岸を南下し、宇治川派流の河岸を東へ歩くと、船着き場の跡があります。京と大坂を結ぶ三十石船もこの辺りから出ていたのでしょう。 川から上って北側の道を東へ入ったところに竜馬ゆかりの寺田屋があります。ここは土佐藩が船宿として利用していたところで、刺客(新撰組)に襲われた竜馬が、後に妻となるお竜さんの気転で逃れることが出来たという逸話のあるところです。
再び川岸に下りて月桂冠の酒蔵群を見ながら歩きました。
最後はお決まりの反省会で、伏見の銘酒「神聖」を造っている山本本家の酒蔵を利用した鶏料理屋「鳥せい」へ行きました。
ここで解散したあと、大阪方面へ帰るHさんと二人で月桂冠大倉記念館の前を通って中書島駅まで歩きました。 駅近くの商店街を歩いていたら、近代建築の風呂屋さんがありました。とっくになくなってしまったと思っていただけに、懐かしさとホッとした気持になった一瞬でした。 |