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2017年11月27日(月) 

昨夜のブログの続きです。

長~い昼食のあと、坂道を少し上がって智積院の東側から南へ歩きました。

もう2時をj過ぎているので、先を急がねばなりませんが、ペチャクチャしゃべりながらダラダラと歩く婆さん連中(失礼)を引率するのは大変です。 (笑)

 

一たん谷に下りて再び上がったところ、下見のときにギンナンを買った無人販売所の前で、誰かが《こんなとこにクツがぶら下がってる。》と言いました。向いある廃屋の前の木に大きな瘤が出来ていて、その下に大人用のスニーカーのようなものがあります。しかし、よく見るとそれは大きなサルノコシカケでした。 (^_^)

 

少し上って、一条天皇の皇后定子のお墓「鳥戸野陵」(とりべのりょう)を参拝し、少し休憩してから南へ進みました。少し行くと左手に墓地があり、泉涌寺(せんにゅうじ)の寺域に入ります。

更に進むと、道の上に朱塗りの欄干を持った橋が架かっています。この橋は泉涌寺の塔頭の一つである今熊野観音寺の参道に架かる橋です。その下をくぐって坂を上ると泉涌寺の伽藍に通じる表参道に出ます。

  

 

参道を少し上がって右に折れ、これも塔頭の一つである悲田院へ案内しました。ここからの見晴らしを楽しんでもらいたかったからですが、よく晴れて空気も澄んでいたので、京都市街は建物までハッキリ見える素晴らしい眺望で、遠くの愛宕山から北山に続く山並もきれいに見えていました。

 

泉涌寺の伽藍へは、正門にあたる「大門」から入りました。門に掲げられた表札と前に立っている石柱には「御寺(みてら)泉涌寺」と書かれています。

同寺のホームページの冒頭に、『皇室の菩提所として、諸宗兼学の道場として、云々』と書かれていますが、このことが「御寺」と称する所以です。 

門をくぐったときは4時近くになっていたので、暗くならないうちに「御座所」とその庭園を見ておこうと、諸堂は後回しにして、境内の奥の方へ急ぎました。

塀に囲まれた中の左に本坊、右に御座所が並んでいますが、御座所へは本坊から入ります。

遠くから見ると夕日を受けた紅葉が美しく、門を入って右を見ると美しい御座所の屋根が見えました。この建物は火災で焼失したあと、御所の建物を移築したものだそうです。

  

 

御座所の中の部屋部屋を見て回った後、南側の縁へ出ました。ここには天皇をはじめ皇族方が使用する部屋が並んでいて、庭園が見渡せるようになっています。室内は撮影禁止なので、リーフレットからコピーしました。(写真は天皇のお部屋=玉座の間)

庭はそれほど大きなものではありませんが、美しく造られています。紅葉は既に散り落ちたものもあれば、今が盛りのもの、これからのものもあり、趣のある風情でした。

  

 

見終わったときには、辺りは黄昏どきになっていました。帰りを急がねばなりませんが、門を出る前に右奥にある「楊貴妃観音」を祀るお堂へ寄りました。お堂の前で季節外れの石楠花がいっぱい蕾を付け、開いている花がいくつかありました。また、お堂の横に造られた小さな庭では鮮やかな紅葉が見られました。

 

 

これで予定していたところは全て見ることができました。帰りは東福寺の南側を通って京阪の鳥羽街道駅までの楽な下り坂を、お喋りしながら歩きました。

これで今年の紅葉は見収めになるかもしれませんが、お天気に恵まれたいい一日でした。

 


閲覧数419 カテゴリ日記 コメント4 投稿日時2017/11/27 22:39
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