先ほどラジオつけたらニュースの時間で、「八幡小学校」という言葉が耳に入った。地元である。 集団登校の列に車が突っ込んだという。 ニュースはすぐに終わってしまったので、詳しく知ろうと思ってNHKのホームページを見たら次のように出ていた。 京都 小学生の列に車 6歳児意識不明9月24日 10時1分 24日朝、京都府八幡市で、集団登校していた小学生の列に18歳の少年が運転する車が突っ込み、消防によりますと小学生5人がけがをして、このうち6歳の男の子が意識がないということです。 24日午前8時ごろ、京都府八幡市八幡双栗の府道で、集団登校していた小学生の列に乗用車が突っ込みました。 警察と消防によりますと、この事故で、八幡小学校の児童5人がけがをして病院に運ばれたということです。 けがをしたのは、6歳の男の子と11歳の男の子2人、それに、6歳と9歳の女の子で、6歳の男の子が意識がないということです。現場は交差点のすぐ近くで、事故を起こしたとみられる車は、道路脇のフェンスをなぎ倒すようにして畑に入り、その先の住宅に突っ込むような状態で止まっていました。 八幡小学校の校長によりますと、子どもたちが14人で歩道を1列になって歩いていたところに、車が猛スピードで突っ込んだということです。 警察は、車を運転していた京都府内の18歳の少年を自動車運転過失傷害の疑いでその場で逮捕し、事故の状況を調べています。
この記事にある「八幡市八幡双栗」という場所を調べてみると、僕が36年前まで住んでいた家の近くである。それだけに、この事故が身近なものに感じられる。 歩道を一列に並んで歩いていた子供たちは、まさかこんなことが起ころうとは思ってもみなかったであろう。学校まであと数百メートルのところで、安全であるはずの歩道を歩いていての災難である。怪我をした児童の親御さんの心配はいかばかりかと思うと心が痛む。 去年の4月に亀岡市で痛ましい事故があった。それからも同様の事故(というより事件)は後を絶たない。 これはクルマ社会の現代では避けることができない。クルマを運転しているのが人間であるからだ。こういうことは運転者がプロであっても起こるし、レールの上を走っている電車でさえ転覆することもある。 人間というのは弱いもので、亀岡のときのように「未必の故意」の場合もあるし、運転者がいくら気をつけていても突然意識を失うこともあるから、防ぎようがないのである。 われわれ現代人は「便利」と引き換えに「命の危険」に曝されている。こういう事故をなくすことはできないが、可能な限り少なくすることはできるはずである。 政府も、「アベノミクス」が象徴する経済最優先の政策よりも、いま現在生きている人間の生命を守ることを重視すべきであると僕は思う。 今はただ、重体になっている子供さんが無事回復することを祈るのみである。
その後のニュース:http://www3.nhk.or.jp/news/html/20130924/t100147486…91000.html |